技術教育のめざすもの

一.はじめに

 「百聞は一見に如かず」 「百見は一試に如かず」  
 技術科教育の最大の特色を表す言葉である。私たちが日常生活の中で、生活を明るく豊かにするために、ものを作り出そうとして技術的な問題に直面し、それを解決しようとするとき、また、新しい機器や道具の使い方を習得しようとしたときなど、まずは自分自身で実践して試してみることの大切さを表した言葉である。その実践の中にこそ、おどろきや納得、そして真の技術のすばらしさを実感しながら習得できるカギが秘められていることを示している。  
 社会が大きく変化し、科学技術が急速に進歩して、私たちの日常生活や子供たちを取り巻く環境も大きく様変わりしている。例えば町へ出れば様々な商品が溢れ、私たちが日常生活で必要と思う大抵のものはお金で買うことができる。たとえ技術的な問題に直面しても、自分の手で解決せずに、電話やFAX、インターネットなどを通して情報の提供やサービスが受けられる状況になってきている。では、人間はお金を持ち、電話の掛け方さえ知っていれば、問題は万事解決であろうか。消費社会の拡大とともに生活が便利になった反面、既にできあがったものを受け取るだけ、操作はマニュアル通りにスイッチを押すだけのブラックボックス化社会が、真のものの価値を見えなくしているのではないだろうか。二十一世紀を背負って立つ子供たちが、ものの価値を見誤ることなく、さらに氾濫する情報を活用駆使して、人間らしく豊かに生きて行くために大切な技術科教育が、今男女を問わず必要とされているのではないだろうか。
 
二.技術科教育とは  

 『技術教育』とは、一般に工業高校や農業高校などの職業高校のように、スペシャリスト養成を目指し、専門分野に関して行う技術の教育をも含めて、広義に捉えて言っている。次に『技術科教育』とは、全人教育として、男女共通に将来の進路にかかわりなく誰にでも必要な、普通教育の一環として行う技術の教育を狭義に捉えて言っている。実際には技術科教育も技術教育に内包されるものであり、明確な線引きはできないものである。技術科教育の詳細な概念規定については省略するが、普通教育における手を使った労作や作業活動の教育的効果については、約二百年前のルソーやペスタロッチ、フレーベルらの教育論にみることができる。また、我が国において、普通教育の中に手工科という技術の教育が位置づけられてから、既に百年以上の歴史があり、技術の教育は決して歴史の浅いものではない。手を使ってものを作ったり、操作することは、目的達成のためだけの行動や単なる目や手などの感覚訓練、技能習得だけではない。五感を働かせ対象物を感知して、今までの知識や経験をもとに対象物を正しく認識し、構造や加工法や道具の使い方は科学的であるか、合理的であるか、また経済的であるかなど、技術的思考能力を働かせ、自分の手を使い、道具や機械を使いこなして、素材から価値あるものを作り出し、また育成する活動である。作りたいものをイメージの世界から現実の世界へ具体化する、設計(計画)・実践・完成・反省の一連の学習(プロジェクトメソッド)を通して、文化として我々の生活を支えている技術の価値や、技術的なもののみかたや考え方、捉え方、そして工夫し、創造し、実践する態度が育成されるのである。 
 技術科教育の枠組みと教材配列の視点を表1に示す。
 
三.社会の変化と技術科教育の変遷  

 中学校において「技術・家庭科」が発足したのは、昭和三十七年からである。 
昭和三十年代、世界的な科学技術の急速な進歩と産業の発展は、我が国においても技術革新・高度経済成長をもたらし、科学技術教育の向上が強く求められた。そして、それまでの図画工作科から工的内容、理科からは応用実践科学的内容が職業科の内容に整理統合されて、科学技術教育振興の一端を担う教科としてスタートした。 
 さらに、教育の現代化・人間化とともに「技術・家庭科」の教科の性格は《科学・技術の教育》から《生活・技術の教育》そして《情報・生活・技術の教育》へ、その時代時代の社会情勢や教育要請を、直接、教育内容に反映しながら変遷している。 
 技術科教育には、生産技術教育的性格、職業教育的性格や労働教育的性格が内在する。したがって、「男は外に出て働き、女は家庭を守る」といった性による分業的生活様式や家庭意識が強かった時代には、技術に関する内容は主として男子向きとして扱われ、技術・家庭科が成立した昭和三十七年以降も男子には技術、女子には家庭の内容とするものであった。しかも、制度的には技術科教育として技術の教育を担う教科は、小学校や高等学校には存在せず、中学校の「技術・家庭科」として家庭科との複雑な問題を抱えながら、改訂ごとに指導時間数が削減されながら現在に至っている。 
 しかし、中学校における教科の目標は、子供たちの基礎的技術の習得や技術への理解、工夫創造の能力や実践的態度の養成で一貫しており、山形県においても、従来から他県に先駆けて、課題解決型の学習指導を中心に、様々な実践研究が実施され、成果を上げている。これはまさに現場の技術科教師と家庭科教師が力を合わせて「技術・家庭科」を支えてきたことにほかならない。
 
四.今なぜ男女共に学ぶ技術科教育が必要なのか   

 「日本人は感性が豊かで細やかで、手が器用で勤勉だ」そういう特性が技術立国である日本をつくりあげてきたと言われている。 
 では、あなたは、今の子供たちは本当にそう言えるのだろうか。 教育現場では、このたびの改訂で示された、「二十一世紀に向かって、国際社会に生きる日本人を育成すること」を主眼として、新しい学力観に基づく研究実践が積み重ねられている。 
 中学校技術・家庭科の木材加工領域は、第一学年の必修領域となったことによって、従来以上に重要な領域になった。中学校に入学して初めての技術の教育となる木材加工学習では、学習者の素材や工具に対する対象イメージは学習者の先行知識や先行経験に大きく左右される。そして、生徒の先行知識や先行経験が乏しい場合には、製作全体のイメージや細部にわたる技能を伴う製作行動イメージが希薄となるので、そういった生徒に対応できる題材設定や指導法の研究が一層必要となってくる。 
 そこで、中学校入学前の小学校六年生の児童を事例対象として、木材加工初心者の知識や経験について調査してみると、汎用的な工具は使用体験が高いが、木工用専用工具は比較的低く、しかも日常の使用頻度は低いこと。また、木材の知識については理科的知識はあるが、加工法に直結する物理的性質や特徴に関する知識は少なく、技術的なもののみかたや、技術に潜む人間の知恵や工夫といった技術のすばらしさを実感するには至っていないと思われた。木材加工初心者の子供たちが陥りやすい失敗やつまずきに関して、ものつくりだけをみても、子供たちの生活体験は量・質共に確かに乏しくなっている。 
 手の教育と言う側面だけでなく、道具や機械、そして様々な技術は、先人たちが生活を明るく豊かにするためにつくり出した文化であり、不易のものとしてその本質をつかむとともに、流行のものとして現代の技術や将来の高度な技術についても、イメージし、事の善し悪しが判断できる技術教養もまた、男女の区別なく重要であると考える。
 
五.技術科教育の果たすべき役割

 技術科教育は、各教科で習得した知識や技能や経験を、実践を通して、実生活で生きた力として定着させる総合教科的性格をも有している。 
 また、技術科教育の実践的・体験的学習活動は、生徒自ら学ぶ姿勢や一つの事に集中して探求する心や、最後まで粘り強く仕事をやり遂げる力、他人の個性を認め、他人との共働と協力をはかる姿勢などを育成する素地を元来有している。これらはこれからの学校教育において、一層重要な教育要素となると同時に、例えば技術・家庭科は「総合的な学習の時間」の核となる教科の一つとして、要請が高まることを意味している。 
 したがって、技術・技能の上辺だけの教え込みに終わる事なく、これからも二十一世紀の山形を、日本を、そして世界を自ら背負って立つ人間の教育として、技術科教育の果たすべき役割は大きい。
 
○技術教育のめざすもの,河合康則,山形教育,295(1996)より 
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